大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成3年(オ)526号 判決 1992年1月16日

東京都豊島区雑司が谷三丁目一番一七号

上告人

小出昌弘

同所同番同号

上告人

小出容睦

東京都小金井市緑町四丁目一二番一一号

上告人

外山博子

同武蔵野市吉祥寺北町三丁目六番三一号

上告人

小出宏子

同板橋区前野町一丁目三一番一一-三〇七号

上告人

小出敦

右五名訴訟代理人弁護士

大村武雄

西山宏

千葉県船橋市習志野台三丁目三番三棟五〇三号

被上告人

井上公夫

東京都練馬区春日町一丁目四番三号

被上告人

高山百合香

横浜市鶴見区東寺尾六丁目三一番二一号

被上告人

井上森夫

東京都港区赤坂七丁目五番一-三〇二号

被上告人

田中美知子

同中野区南台三丁目二二番二-二三五号

被上告人

井上武夫

右五名訴訟代理人弁護士

小坂嘉幸

右当事者間の東京高等裁判所平成元年(ネ)第六〇七号著作権確認請求事件について、同裁判所が平成二年一二月一八日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人大村武雄、同西山宏の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断及び措置は、原判決挙示の証拠関係及び記録に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 味村治 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平)

(平成三年(オ)第五二六号 上告人 小出昌弘 外四名)

上告代理人大村武雄、同西山宏の上告理由

原判決には、理由不備もしくは理由齟齬の違法があり、右は民事訴訟法第三九五条第一項六号に当たる。

一1 原判決は、控訴人らの請求は失当であって棄却されるべきものとし、その理由として、基本的には第一審判決の理由説示のとおりであるとする(理由一冒頭)

2 そこで、まず第一審判決の理由を検討する。

第一審判決が、「チューリップ」曲、詞について小出浩平の作ではないと認定した理由は、

(1) 曲については、第一に、甲第一号証及び第一八号証の楽譜が、その形態、記載態様等からみて、大正一一年当時のものとは認められない点、第二に、小出が、作曲者が自己であることを明らかにするような確固たる措置を講じた形跡がない点の二点に集約される。

(2) 詞については、第一に、1の理由から、小出が作曲していない点、第二に、小出が「エホンシヤウカ」編集に関与していなかった可能性が高い点、第三に、訴外近藤宮子が作詞した可能性がある点の三点に集約される。

3 右の計四点につき(詞についての第一点は、曲についての認定理由と重なる)、上告人は、原審において、第一審判決の事実誤認を指摘し、主張を追加し、これらについて新たな立証を行ってきた。

しかしながら、原審は、第一審判決の下した結論に適合しない証拠の検討を怠り、上告人が新たに追加した主張についての立証を制限した結果、理由不備、理由齟齬を来し、及び審理不尽の違法を犯しており、破棄は免れないといわなければならない。

以下、順次、原判決の問題点を指摘していく。

二1 曲についての第一点に関して

(1) 五線下の歌詞の記載方法について、第一審判決は、甲第一号証及び第一八号証の楽譜では、第一番から第三番まで全部平仮名で書かれていることを、「戦後相当期間を経過して後に記載されたものとすれば、通常の方式であるが、大正一一年当時のものとすれば、異例のものといわざるを得ない。」と、右楽譜が、戦後相当期間を経過した後に作成された即ち偽作であるとの認定資料としている。原判決は、右認定に対し上告人が提出した甲第二三号証の一ないし四によって、一、二番平仮名、或は一、三番平仮名、二番片仮名という記載方法が、昭和四年刊行の同一書籍に併存する事実を認定しながら、なお、右第一審の事実認定を維持している。その中で一、三番片仮名、二番平仮名との記載方法が通例であるとの認定資料として挙げている七点の証拠のうち乙第七三、七六、六九、八〇号証の四点は、文部省教科書又は検定教科書であり、これら各記載方法が、それぞれどのような出版物の中でとられているかの検討を欠いており、甲第二三号「児童唱歌集」が、作者によって異なった記載方法をとっていることをどう評価するのかという点を示さないまま性急に、第一審判決と同一の結論を導き出している。

これでは、右記載方法が、どうして「通例」といえるのかという理由は全く示されていないのと同じである。

(2) 右楽譜に記載された略字等についても、原判決は、第一審判決の認定を取り消しながら、これについて何らの判断もなさずに、第一審判決と同じ結論をとっている。

即ち、原判決理由一、3において、第一審判決第三〇丁裏第一一行の「「小学校」」から同第三一丁表第三行の「とりわけ、」までを削除するとしている趣旨は、手書きのものは当時も略字を使用しているものがあり、また、「々」という文字も明治以降公式文書に使われている例があり、この点で、第一審判決の安易な事実認定を排しているところにあると考えられる。しかるに、原判決理由一、6では、原審の右認定を削除しただけでこの点についての判断を全くせずに、直ちにプログラムが活版印刷であったか謄写版印刷であったかの判断に移っている。

しかも、そこでの事実認定は、原に存在し、大正一一年当時作成されたことに争いのない二種類のプログラム(活版と謄写版)と、判決全体の趣旨からは、戦後相当時間を経過した後の偽作と断じているとしか読み取れない右楽譜について、大正一一年一一月の赤坂小五〇周年記念日の数か月前に刷り上げられたとする前提の下に比較対照するという奇妙な論理の下になされている。

右の認定についても、例えば、原審において提出された甲第二二号証のこなどとの比較検討を怠り、第一審判決理由から導かれる結論先にありきという原審判断の牽強付会の強引さを指弾せざるを得ない。

(3) さらに重大なのは、第一審判決、原審判決を通じ、その結論、即ち、右楽譜が、戦後相当時間を経過した後の偽作であるとする見解にとって、最大の弱点ともいえる甲第一号証の書き込み「記念の思出大和田愛羅」が、その筆跡から訴外故大和田愛羅によって書かれたものであるとする第一審における鑑定人大西芳雄の鑑定結果について一言も言及していないことである。右楽譜が戦後の偽作であるとするなら、大和田愛羅がその偽作に加担したということになる筈であり、この点について合理的な理由を示していない判断は、自ら先に設けた結論にとって不利な証拠については一切触れないというもので不完全な、その意味で理由を欠くとの謗りを免れないといわざるを得ず、理由不備のものである。

2 曲についての第二点に関して

この点に関しては、原審は、上告人の主張について、全く審理をせず、それに関する立証を許さないまま、第一審の判断をそのまま踏襲する。

第一審判決は、まず、小出浩平が、井上武士による「チューリップ」曲の実名登録について、その経歴等からみて、充分に了知していたことは容易に推認できるとの前提を立て、それに基づいて、充分了知できたのに、これに対して確固たる措置を講じた形跡がないと認定する。しかしながら、右認定の前提たる事実が成り立つか否かについて、上告人は、渡辺茂を証人とするよう人証申請した。右渡辺茂は、戦前、童謡「たきび」を作曲した経験を有し、かつ、戦後は文部省にあって、井上武士が実名登録したとされる昭和二五年前後の音楽著作権の届出等の情況について詳しいものだからであった。

たしかに、小出浩平は、一般的には自ら著作者であるという自己主張が薄く、又、これに経験則上反するがの如き行動をとったこともないわけではなかった。この点に関して上告人は、小出浩平がかような行動をとった理由、背景事情について主張し、これを裏付ける書証として甲第二八号証の一ないし五を提出し、併せ石黒一郎を証人とするよう申請した。

しかるに、原審は、右二名の証人申請を却下し、甲第二八号証についても一顧だにしないまま、第一審判決の理由を引用している。

明らかに審理不尽といわなければならない。

3 詞についての第二点に関して

原判決は、その理由中で、乙第四号証を挙げて、右証拠から「エホンシヤウカ」については、編纂委員と歌詞等の審査委員が別であったと認めることはできないと認定する(第一一丁表三行目乃至六行目)。

右乙第四号証「本会記事」欄には尋常小学唱歌研究部委員会が開かれた(小出浩平は出席していない)こと、右唱歌研究部委員中の数氏に新作唱歌歌曲の審査を委嘱したことが記載されている。

ここでの上告人の主張は、各唱歌研究部と、各編纂委員会、審査委員会とは別個のセクションであり、「本会記事」欄には各唱歌研究部委員会開催の記事は掲載されるが、右乙第四号証にもあるとおり、毎週一回開かれる審査委員の会合については、いちいち掲載されないのであるから、右唱歌研究部委員会の出席者に小出浩平の名前がなかったからといって、ただちに編集、審査について小出が何らの関与もしなかったということはできないという点にあったのである。

従って、唱歌研究部と編纂委員会及び審査委員会との関連に全く触れないまま、編纂委員会と審査委員会とが別個であったかどうかについて認定してみても意味がないのである。

しかも、次の段で、小出は唱歌研究部委員会や唱歌編纂委員会に出席した形跡がないことが認められるとの認定の際掲げる乙第三号証の「本会記事」欄は唱歌研究部委員会の開催記事であり、乙第一三号証には、福井直秋の講演録、「本会記事」欄が含まれるが、いずれにも、編纂委員や、審査委員について、個人名は一切挙げられていない。

かえって、右乙第一三号証の福井直秋講演録からは、唱歌研究部と編纂委員会、審査委員会が別個のセクションであったことが読み取れるが、この点に関する上告人の主張の当否についての認定も何故か欠落している。

従って、原判決が理由中で要約する上告人の主張とこれを、否定する事実認定は明らかにくい違っており、齟齬がある。それにとどまらず、乙第一三号証のように、誰の名前も掲載されていない証拠から、小出の出席の形跡がないと認定するなど、原判決理由は、事実認定の体を全くなしていないとさえいわなければならない。

4 詞についての第三点に関して

(1) 原判決は、証人近藤宮子の一連の供述について、これらが相互に矛盾し、不自然なものであると認めることはできないと認定する。

この点に関しては、原審において、上告人が重ねて指摘してきたところである。すなわち、近藤宮子は、別事件の審理において、昭和六〇年九月一九日、原告本人として供述している(乙第一〇六号)。この中で、近藤は、「チューリップ」詞について、「何か歌の作詞について下敷にしたものがございますでしょうか。」との問いに対して、

はい、当時小学校の一年生の最初の読本の一番冒頭がサイタ サイタ サクラガサイタという詩でございました。そして、それが頭にあったものですから幼稚園のほうはサイタ サイタチユーリップがサイタでいいんじゃないかそういうような気がいたしましてね。

と答え、さらに「そうしますと、小学校の国語の読本に出ていた歌を下敷きにしているということですね。」との重ねての問いに対し

はい、一番最初がサイタ サイタ サクラがサイタでございました。

と答えている(乙第一〇五号証第一三丁表九行目乃至同裏九行目)。

これを、本人尋問の約四か月後である昭和六一年一月二九日付、東京地方裁判所宛報告書と題する書面において、書類資料等が、父の書斎にあって、これに目を触れてとの趣旨に訂正している(乙第一〇六号証)。

右供述の訂正は、「サクラ読本」は昭和八年四月より実施されたもので、近藤が、「チューリップ」詞を作詞したと主張する昭和六年九月ころには、まだ、出版されていなかったことに、証言の後で気づいたからであると思われる。しかし、本人尋問の核心部分における右の誤りは、近藤供述全体の信用性を判断するうえで致命的ともいえる誤りである。作詞の下敷としたとする詩が、当時、公刊されていなかったということになるからである。この明白な誤りを訂正するのに、近藤は、国定教科書である「サクラ読本」の資料が、公刊前に父の書斎にあったとの説明をするが、この説明は不自然であるばかりではなく、誤っているといわなければならない。

少なくとも、原判決のように近藤の右供述の変遷が自然なものといえると認定するためには、<1>昭和六年九月ころ、「サクラ読本」の冒頭部分が、人の眼に見える形で成立していた。<2>未公刊の国定教科書の資料が、近藤の父の書斎にあった。との二点についての合理的な事実認定がなければならない。右<1>について、上告人は、甲第三〇号証「小学国語読本、尋常科用、編纂趣意書」、甲第三一号証井上赴著作を挙げて、そのような事実はないこと主張立証しているが、原判決は、この点について全く触れていない。しかも、右<2>について秘密であるべき公刊前の国定教科書の内容を知り得る「書類資料等」が、近藤の父の書斎にあったかどうかについても、全く検討を加えていない。

(2) そもそも、証拠調べにおける法廷の供述を、後に書面で訂正するということが許されるとすれば、それは、証拠調べにおける口頭主義、直接主義の要請に反するものであり、証人尋問という形の証拠調べをする意味がほとんど失われてしまうといえよう。近藤が報告書によって訂正しようとする供述の部分が、「チューリップ」詞の作詞をした事情という要件事実に直接関わる事項であることを考えれば、右は重大なものといわなければならず、これに関して何ら判断を示していない原判決は理由不備の違法を犯しているものである。

三 原判決が、第一審判決の結論を導き出すために、その結論と矛盾する事実について、合理的な検討をえ又ず或は一方的にこれを無視して、性急な判断をしたために理由齟齬、理由不備の違法を犯してしまっていることは、二で具体的に指摘し批判してきたところである。

原判決は、第一に「エホンシヤウカ」編纂の主体が訴外日本教育音楽協会であったという点や、右協会が、「エホンシヤウカ」を編纂するに至った当時の時代背景及び、戦後に至る音楽教育の流れに対する考察を欠いており、第二に、音楽に携わり、音楽教育に従事する者にとっては常識であるところの楽典上の規範や記譜、記符上の約束を無視した結果(例えば、原判決理由一、5)、楽理的にも誤った独善に陥り、第三に、甲第一号証や甲第二一号証の作成された当時の学校事情を見落としている。その結果、木を見て森を見ないという甚だしく微視的な判断に終始し、理由齟齬、理由不備の違法を招来しているのである。

よって、原判決は破棄を免れない。

以上

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